人間国宝の作品

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2020年01月

中国の焼物買取りました…一昨日は福岡市内のお客様より古い美術品や骨董が沢山あって整理したいとのことで無料の出張買取査定を致しました。無名の掛軸や箱が無い茶道具がある中、なにやらとても古い木箱に入った器が出てきました。この花瓶は中国の古い天青釉薬の鹿耳花瓶です。景徳鎮窯のようですが確定はしておりません。
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景徳鎮は、江西省東北部に位置する景徳鎮市の窯で製造された陶磁器のことです。その昔、景徳鎮市は「昌南鎮」と呼ばれていましたが、今からおよそ1000年前、宋代の景徳年間に宮廷に納める磁器を制作していたことから景徳鎮に改名されました。また、景徳鎮で焼かれた磁器には「景徳」と紀款が入れていたことから景徳鎮窯で製造された陶磁器も「景徳鎮」と呼ばれるようになりました。特徴は白磁にコバルトで絵付けを施した「青花磁器」です。透き通るような薄い白磁に草花や龍などのモチーフが繊細に描かれているものが多いですね。景徳鎮のなかも価値が高いのは、元・明・清代に作られた磁器です。この頃は宮廷に納めるために作られており、一定以上の品質を持っていない物はすべて破棄されていました。この陶磁器も状態がとても良くヒビや割れ、欠けなどもありませんでしたので細部まで査定して高価買取致しました。他にも中国古美術品である紫檀の家具や中国仏教の仏像や皿、版画なども数点買取させて頂き感謝です。ありがとうございました。


骨董品買取の福岡玄燈舎では中国古陶器も買取いております。受付年中無休 050-3569-2100

唐津焼で有名な現代作家14代中里太郎衛門の皿買取りました。少し歴史について触れます。
まず日本各地で釉薬が施された陶器が焼かれるようになったのは、
400年程度前の文禄・慶長の役の後です。
しかし唐津の岸岳地方ではそれ以前から、朝鮮半島や南中国より陶技が伝えられ、釉薬のかかった焼き物が作られました。文禄の役当時、唐津地方の新領主となった美濃出身の寺澤氏は唐津焼を保護奨励したそうです。
陶工達は佐賀県伊万里市南波多町府招の「椎の峯」に集まり、唐津焼の中心地となりました。
中里家初代の又七は他の2名と共に、文禄年間伊万里市大川町に田代窯を開窯しました。
その後、同市同町川原に移り、岸岳直系の古唐津を作りました。
元和初期、椎の峯窯へ移り、寺澤氏の御用窯を勤め1699年、「椎の峯事件」が起こり、当時の御用陶工だった4代中里太郎右衛門と息子喜平次、4代大島弥次兵衛の3名は唐津へ招かれ、西の浜に坊主町御茶盌窯を開きました。
その後1734年唐人町へ御用窯を移し、幕末まで代々将軍家、高家への献上品のみを焼いたそうです。
これを「献上唐津」と呼びます。
現在も陶房の一角にある窯が、当時作られた唐人町御茶盌窯ですね。1924年まで使用されていました。その後大島家は陶業より離れ、古唐津の伝統を継承しているのは中里家のみとなりました。唐津焼は、李朝や明朝の陶技が伝承されながら、肥前の風土に培われて唐津独自のものとなり、素朴な絵模様、簡略な形、渋い色調に特徴があり、あたたかみを感じることができる焼物です。

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